私は特定の宗教に属していませんが、昔から“祈り”や“信仰”というものには興味がありました。神社やお寺に行くと心が落ち着く。そんな感覚は、小さい頃からずっと覚えています。
だけど、どこかに所属して「この教えが一番です!」という空気には、なぜか違和感があって。そうした中で出会ったのが、ダライ・ラマ14世の講演でした。今から20年以上前、ワシントンD.C.でのことです。
今回はダライ・ラマ14世から聞いた、その今でも心に残っている言葉を紹介します。
宗教は“食べ物の好み”のようなもの

講演の中で、ある人が質問をしました。
「たくさんの宗教がありますが、どの宗教を信じればいいですか?」
ダライ・ラマ14世は、にっこりと笑ってこう答えました。
「宗教なんて、食べ物の好みと同じですよ。好きな宗教を信じたらいいんです。」
その言葉を聞いた瞬間、私の中で何かがストンと落ちました。それまで、「うちの宗教が一番!と勧誘してくる人たちにうんざりしていた私にとって、それは救いのような言葉でした。誰かに「正しさ」を決めてもらう必要なんてないんだ。自分の心が心地いいと感じる信仰を持てば、それでいいんだな、と。
「まずは、自分が幸せでいること」

もうひとつ、心に残っている質問があります。
「人のために役に立ちたい。人を幸せにするには、どうすればいいですか?」
ダライ・ラマ14世の答えは、とてもシンプルでした。
「自分が幸せじゃないと人のことは幸せになんてできませんよ。まず自分が幸せになってください」
この言葉は、当時の私には“雷が落ちたような衝撃”でした。自分を犠牲にして誰かのために頑張ることが「優しさ」だと思っていたけれど、それは自分が満たされていない状態での行動だったんです。
思ったような反応が返ってこなければ落ち込み、「どうしてわかってくれないの?」と悲しくなる。そんな繰り返しの中で、本当の意味での「愛」には届いていなかった。
でも、自分が幸せで満たされているときは、自然と周りに優しくできる。見返りなんて考えもしない。あふれた愛が自然に誰かを包む——そんな生き方をしたいな、と心から思いました。
ニューヨークでのちょっとした“奇跡”

20代の頃、仕事を辞めてふらりと旅したニューヨーク。たった1週間の予定が、気づけばそのまま住みついてしまった私。自由で楽しくて、だけど少し寂しい。そんな時期でした。
ある日、「楽しい会があるよ」と誘われて参加したパーティー。笑顔で迎えてくれた人たちとおいしい料理。…でも、そこは新興宗教の集まりだったんです。
その後、毎日のように電話が鳴りました。「あなたを救いたい」と言われても、心は少しずつ離れていきました。
そんな時、バイト先で知り合ったチベットの青年が映画『セブン・イヤーズ・イン・チベット』に出演していたと話してくれたんです。彼の話を聞くうちに、チベットやダライ・ラマに興味が湧き、思い切って講演に参加したのが冒頭の出来事でした。
信じることは、自由でやさしい
それから長い年月が経って、ダライ・ラマの言葉が少しずつ現実味を帯びてきました。
「宗教なんて、食べ物の好みと同じ」
「まず自分が幸せでいること」
この2つは、どんな時代にも通じる普遍的な真理だと思います。
信じるものが違っても、
誰かを否定しなくてもいい。
“好きな味”をそれぞれに楽しめばいい。
そして、心が満たされたときにこそ、その幸せはまわりへ自然と広がっていく——。そんな生き方を、これからも大切にしていきたいなと思います。

