怒れないのは正解だった?カルマを積まないスターシードの選択

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怒っている顔 こころの旅

「どうしてもっと怒れなかったんだろう…」そんな風に自分を責めたことはありませんか?でも実はそれ、“怒れなかったこと”こそが、あなたの魂が選んだ正しい反応だったかもしれません。スターシードや感受性の強い人たちにとって、“怒らない”という選択は、カルマを積まずに済む大切な行動だったのです。

怒り方がわからなかった子ども時代

ケンカをする夫婦。間に挟まれて耳をふさぐ子ども

子どもの頃、「天然だね」とか「宇宙人みたい」と言われて、嫌な気持ちになったことはありませんか?私もそうでした。母からは「あなたは変なことばかり考える」「ロクなことしない」と繰り返し言われ、自分は“変な人間”なんだと信じていました。

小学生の頃、放課後に男の子たちに水をかけられて全身びしょ濡れになったことがありました。でも私は怒ることができなかったんです。代わりに周りの女の子たちが怒ってくれて、それを見てようやく「怒るってこういうことなのか」と思ったほど。母には「怒れないなんて不憫だ」と言われ、さらに自信をなくしました。しかし、私の周りの大人たちは、ちょっとしたことで怒っていました。レストランで料理が遅いと店員に怒鳴る、妻に理不尽にキレる…。そんな場面を見ては、怖くて固まってしまい、「怒り=恐怖」のように感じていたのです。

怒れない自分は損?と思っていたころ

大人になると、「怒れない自分は損してる」と思うようになりました。なぜなら、怒る人のほうが得をしているように見えたからです。怒ることで相手が動いたり、主張が通ったりする…。そんな場面を何度も見て、「私もちゃんと怒れたら、もっと守れたのに」と後悔したことも。「怒る」=「正当な自己主張」と思い込んでいたのかもしれません。

でも実はそれ、間違いでした。怒りのエネルギーを相手にぶつけた時、その場ではスッキリしたよう見えても、後で罪悪感が残ることが多いのです。そしてその罪悪感が、カルマという“見えない重荷”として魂に刻まれていきます。

怒りとカルマの深い関係

怒りは、「相手を変えたい」「自分を守りたい」という強い執着から生まれます。その執着が大きくなりすぎると、やがてカルマとして蓄積されてしまうのです。スターシードは、そうした執着やカルマを本能的に避ける傾向があります。だからこそ、食や恋愛、お金にあまり執着がなく、「怒る」という感情にも距離を置きがち。

それは魂の記憶として、「怒らない=新たなカルマを生まない」ということを知っているからなんです。怒れなかった自分を責める必要はありません。むしろ、その反応こそが“魂が選んだ最善”だった可能性が高いのです。

怒れないことは、実は祝福だった

魂は、過去世のカルマや家系のカルマを解消するためにこの地球に生まれてきます。怒らずに受け止めたこと、反応しなかったことは、自分だけでなく家族やご先祖のカルマをも癒す行為だったかもしれません。

理不尽なことが続くと、「なんで私ばっかり…?」と思うこともあるでしょう。でも、それはカルマの解消プロセス。怒らなかったことで、あなたは誰かの“痛み”を終わらせたのかもしれません。

仏教や密教でも「怒りは煩悩のひとつ」とされていて、解放の対象とされています怒れなかったあなたは、実はすでに高次の学びを歩んでいたのです。

まとめ

経典を読みながら微笑む少年(修行中の僧侶)

過去世や家族のカルマを解消しながら新たなカルマを生まない。スターシードの話にしていますが、カルマについては仏教やヒンドゥー教、チベット密教などの経典にも書かれています。

怒れないことで悩んできた人も多いかもしれません。でも、それは“できなかった”のではなく、“選んでいた”ということ。怒らずにいられたあなたは、新しいカルマを積まずに、古いカルマをそっと手放していたのです。これからは、自分を責める代わりに、その選択を誇ってあげてくださいね。

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