この結婚はカルマだった。出会う人はすべて必然!結婚とカルマの関係性

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宇宙の法則

「結婚したい」「パートナーが欲しい」……。婚活市場が盛り上がっているのは、結婚したい人が少数派ではないことを表しているのですが、かたや『結婚は人生の墓場だ』という言葉も昔からあります。本来の意味は、『自由な恋愛ではなく結婚して添い遂げ、お墓を一緒にすることが幸せなんだよ』という意味なのですが、結婚=人生終わった!との意味だと思っている人もいるようです。結婚前のキラキラした憧れの結婚生活を描いている瞳のままその後の結婚生活を見ると、たしかに墓場にしか見えないような気はします笑。

さて、今日は結婚とカルマについてのお話です。

「旦那が嫌い!」イヤな旦那、実は先生です!

はあ?どういうこと?

ご縁があって結婚した相手。そんな相手がとんでもない人だった!家事も子育ても全く手伝ってくれなかった。むしろ酔っぱらって散らかりっぱなし。つわりで酷いときに「俺のご飯は?」って…。実家帰省は強制。「俺は働いてんだ!お前はきちんと妻の役割を果たせ!!」って。モラハラ夫の典型じゃない??

相手が怒りを発動するトリガーがあって、そのトリガーとなるような言葉を言ってしまっている場合もあります。とはいえ、どんなに腹が立っても、声を荒げたり怖がらせたり制裁を加えるなどの言動をすることはモラハラです。ですから、この夫がしていることはモラハラには変わりがないのです。モラハラは我慢するか、別れるかの二択になるのですが、これをカルマの法則で考えると、自分も同じことをした過去世があったのでカルマだと思ってやり過ごします。

それって結局我慢しなさいってことじゃないの?

他人から見た図は我慢という形になりますが、カルマだと捉えてやり過ごすことは、我慢ではなく忍辱(にんにく)になります。我慢とはつらい事から目を背けたり、気持ちを抑え込み卑屈な気持ちになることです。忍辱とは苦しみに耐え忍び、心を動かさないこと。自分と向き合うことなのです。心の中が全く違います。「何で私ばっかり…」という気持ちはそこになくなります。

やがて、「こんな最低なヤツ、他にはいない!」という気持ちから「この人にもいいところはある…ただし、嫌なヤツだけどね」に変化し、「こんなにも苦しみを与えてくれる人は、この人は先生だったんだ!」という具合に変化します。

ほんまかいな…笑

これが本当なの。

ソースは私。

ただし何年もかかりましたけど。

こんな素晴らしい人は他にいない!と思って結婚したのに…

私の友達みんな、新婚の時はいいんだけど、

しばらくすると旦那さんの愚痴ばっかり言ってる…。

結婚したい気持ちはあるんだけど、幸せそうに見えなくて…

もともと生活環境が違う他人同士が結婚するのです。最初はどちらかが我慢していても、そのままでは厳しくなります。交際期間が短くても「この人しかいない!!」とピピピと来て交際までトントン拍子~結婚しても、だんだん「あれ?思ってたんと違う…」ってなって「もう同じ空気を吸うのも無理!」となるパターンも。そのままうまく行って末永く連れ添う場合ももちろんありますけどね。

素の自分をお互い見せていなかったら、「思ってたんと違う…。」となるし、勝手な思い込みの場合もあるし、自分の捉え方で小さなことに目をつぶれなかったのかもしれないし。お互いの言い分はだいたい違います。

「結婚前には両目を大きく開いて見よ。結婚してからは片目を閉じよ」というイギリスの聖職者、トーマス・フラーの言葉は聞いたことありますか?真逆を行くと結婚生活は厳しくなると思います。私もそうでしたが笑

イギリス人の言葉なんだ!

結婚の認識、万国共通なんだね。

一人だけの人生でも山あり谷ありですが、結婚するとお互いの山も谷があります。加えて子どもができるとなおさら。価値観は似ていた方がうまくは行きやすいです。ですが、違って当たり前なのです。そこをお互い少しでも譲り合うことができるかどうか?なのですね。

目を見開いて選んだつもりでも、

「こんなはずじゃなかった」っていう場合もありますけどね…。

その結婚でカルマが解消されないと同じことを繰り返す

私は離婚が悪いことだと思っていません。子どもがいても離婚することで子どもが不幸になるとも思っていません。子どもがいても立派にシングルで育て、幸せな人生を送っている人をたくさん知っています。

ただ、その結婚で学びが終わっていないと同じことを繰り返します。私がそうでした。一度目の結婚が典型的なモラハラ夫で今どき珍しい男尊女卑。浮気するのに束縛が厳しい。義両親と同居で私の居場所はなく…。結婚前は優しくてカッコいい彼氏だったのに豹変してしまった。友人の「旦那サイテーだね。あなたならもっといい人がいるわよ」との言葉を真に受け、私は被害者で事故に遭ったようなもの。私は不幸。もっと素敵な人がいるはず。という気持ちでした。

2回目の結婚は両目を見開いて選んだはずでした。しかし、人のいい純朴そうに見えた男性が1回目の結婚の時のように全く同じようにモラハラに。心の中ではまず相手を責め、「こんな旦那に育てた親が悪い!」と相手の親を責め、今度は「私の性格がよくないからだ!」と自分を責め、「こんな私を育てた親が悪い!」と自分の親を責める…のループ。(我ながらひどい笑)相手の行動に不平不満を持ち怨みながら過ごし、自分のことも責め続ける苦しい日々が数年続きました。

苦しい時こそカルマ解消のチャンス

そんな苦しい時に出会ったのが瞑想です。結婚前は友達と美味しいものを食べに行ったり、飲みに行ったりすることが私のストレス解消方法でした。だけど子どもを生んだ後はそれができない。子どもが寝た後、横でひたすら瞑想をして苦しい現実から逃れようとしていました。

子どもの機嫌と夫の機嫌を取りながらコソコソ瞑想をしていたのですが、いい気分になっている時に子どもが起きて泣き出したり、夫が帰って来たりで中断することも多かったです。そんな時、「ああ、どこか山とか海に行って集中できる場所で瞑想したい」とよく思いました。私は結婚前に海外のリゾート地に出かけ、ヨガや瞑想をしていました。自分に集中できる場所で思いっきりヨガや瞑想をしたいなあとその時のことを思い出していたのですが、それをやったら確かにその時は気持ちがいいかもしれませんが、日常に戻ると全く変わらない日々の繰り返しなのです。与えられた環境の中でこそ学びがあり、カルマ解消のチャンスがあるのです。

当時、コソコソやっていた瞑想ですが、瞑想で整えたつもりでも相手と対峙すると、不平・不満、愚痴という黒い思いが湧き上がってきていました。イジワルなこと言われたからイジワルを言う。言わなくても我慢はするけれど悪い念を返す。また同じことの繰り返し、苦しい日常の繰り返しでした。私はカルマの輪から出ることは出来なかったのです。

結局この時の瞑想で直接救われたわけではありませんが、これが瞑想を学ぶキッカケになりました。

やられたらやり返すとカルマの輪から出られない

やられたらやり返す。私は当たり前だと思っていました。しかし、これではカルマの輪から出ることができないのです。

黒い感情を向けられた場合、こちらはそれにとらわれて同じように返すか、落ち込むかだと同じことを繰り返します。しかし、それを愛で返すことでカルマの輪から抜けることができます。相手が黒い感情を放った時、自分が打ったボールはきっとここから帰ってくると人は予想しています。それが予想外の愛の方向から戻ってきた場合、愛で返さないといけなくなるからです。

ただ、愛で返したから相手からは愛が返ってくるはずと見返りを気にしない事です。すぐに愛が返ってくる場合もあるし、忘れた頃に気付いたらいい関係になっていたという場合もあります。執着しないことなのです。カッとする気持ちもわかります。哀しくなる気持ちもわかります。でも『それが愛ゆえの行動かどうか』確認してから行動をするようにすると必ず状況変わります

そこに愛はあるんか!?

ほんまにあるんか???

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